話は1日目にゴールしたところから続く。
⑭の最終パンチを終えて、ゴールした直後やらなければいけないのは、雨の中でシェルターを立てることだ。
歩いて帰ってきている間にすっかり体は冷え切ってしまい、
テントの設営場所を決め、テントを広げる頃には若干体に震えがきていた。
あと30分もこのままにしていれば軽い低体温症になってしまうのだろう。。。
急いでテントを張り、上着を着替え、ダウンジャケットを着こむ。
もうそれだけで生き返ったようなこころもち。
さっき脱いだR1は汗と結露で水分を含んでどさっと重量を増し、冷たくなっていた。
ここで今回最大のミスが一つ。
上に着ていたR1は着替えて乾いたものに替えることができたが、
下に履いていたパタのバギーズとOMMスパッツはそのままにしてダウンパンツを履いてしまったのだ。
確かに、北アルプスなどでもそうしていたため必要ないと思っていたが、実はこれがまずかった。。
良く考えたら、あの時は休憩所のストーブで乾かしながらだったのだ。
これが後々の悲劇となる。
食事は寒さに震える体を温めるために、汁が飲める塩ラーメンにした。
こんな時は辛ラーメンなど、辛いラーメンでもいいかもしれないと思っていた。
パンを食べながら湯が沸くのを待つ。
すすったラーメンのおかげで体温も回復してくる。
ストレートロングの関門は18:00でそのころになると既にあたりは真っ暗だ。
僕たちが晩飯を食べ終えたのが18:30頃だと思われる。
18:30や19:00を過ぎても、Finishラインのスタッフの声で「おかえりなさーい!」が夕闇に響いた。
僕達はテントの中でコレを聞いていた。
時間までにゴールに帰ってくることは最低限選手に課せられた義務のようなものだけど、
僕たちが温かい居場所を作り終えたその時でも、
気温零度の中でボロボロに「勝負」していた選手に対しては、
なんだか胸にグッとくるものがあった。
DNFとなるパーティーとして、
暗闇の行動はしないという『英断』もモチロン立派だし、
自分のギリギリを求める『チャレンジ』も立派なコトに思えた。
それぞれのパーティーの判断によるもので、どちらがどうというわけではない。
体力、知力、装備力はもちろんのこと、『精神的タフさ』が重要だった。
《インスタメモ》
あとからOMMに参加されていたある方からインスタに届いたメッセ。
「宴会をしてる最中に、この大雨の中でビバークしてるペアが4組いると聞いて、
僕たちも胸が熱くなりました。全ての出場者にストーリーがありますね!」
確かに!!彼らにどんなストーリーがあったかはわからないけど、
きっと誰も取らないコントロールポイントをとりいったんじゃないだろうか?
この大雨の中ビバークをしているなんてあとから聞いても胸が熱くなるエピソードだった。
僕たちはそれぞれシェルター内であべこべになって眠ることとした。
2mを越える長辺をもつクフの頭側には荷物を置くことができ、
寝返りを打っても相手の顔をみることなく過ごせる。
明日のことを考える必要もなく、持ってきた食べ物を食べていき、0.25ℓ持ってきた日本酒も飲み、
概ね寒さから解放されて眠りにつこうとシュラフに入る。
明日は6:00にスタートなので4:30に起床と決めて眠りについた。
隣のBDのメガライトの4人組が21:30を過ぎても「ぎゃはは」「うふふ」が止まらない為、
「静かにしてくれよっ!!!!」と言って黙らせてしまった。。。
楽しいのはわかるが、マナーは守ろう。
僕の悲劇はここから始まっていく。
着替えなかったスパッツとバギーズは、汗と結露によって水分をため込んでおり、
水分のないダウンへ移っていく。既にダウンパンツはベタベタになっている。
合わせてシームシールを済ませたはずのSOLが漏っていたのかどうかは定かではないが、
モンベル#3のシュラフも水分を含んだ状態になり、ロフトを失っていく。
テント内はおよそ3~4度くらい。
唯一の救いは上着自体はロフト厚の高いフェザーフレンズのヘリオスフーディを着ており、
そのロフトはつぶれていなかったため、上体はなんとか大丈夫だった。
ダウン製品の有効性について今更だが考え込んでしまう夜だった。
うつらうつらしながら、寒さに震えながら朝を待つ。
それでも、前日も眠れていないので1時間程度は眠ることができた。
マットはKlymitのイナーシャオゾンをセレクトしたが、
濡れてしまったダウンパンツによって尻部分が冷えてくる。
そのため、頭側に敷いていた座マットを尻に敷いてみると幾分冷気が和らいだ。
このことから、気温0度近くで雨が予想される場合は
安全をみて「山と道」のミニマリストパッド50gのようなものか、
シュラフ内に入れるオゾン380gをやめてしまって、
シュラフ下に敷くことのできるダウンマット400~500g等に変更してしまうのも
一つの考え方かもしれない。
このあたりの考え方は通常のハイクの際にも役に立つと思う。
とにかく今後は着替えを必ずもつようにしよう。。。
朝4:30に起きてもまだ雨がテントを叩く。
朝御飯にチキンラーメンを食べ、身支度をまとめる。
僕たちは今日はそのままゴールに向かうだけなので圧縮などはもうあまり気にせず、
濡れたシュラフから何からどんどんザックに詰め込んでしまう。
Kさんに僕の詰め込んだザックを一旦給水棟へ避難してもらい、
僕は雨の中、素早くテントを畳み、ペグを抜き、5:30には給水棟に移ることができた。
シェルターは水を含んでとても重くなっている。
給水棟には今日のスタートの時間を確認する人や、リザルトを確認する人がごった返していた。
前日も確認したが、1日目を完走できたのは、24/96組。
つまり、25%だけが完走。。。そして、2日目も完走できるという保証はない。
やはりOMMの厳しさ健在。。
1日目の最初に抜かれた柳下さんチームはやはり1位、山田さんチームは4位。
いずれも6時間、7時間程でゴールするという圧倒的な力の差。
やはり、チャンピオングループは格が違う。。。
前日完走できなかったストレートロング組は6時の早い時間にスタートする。
6時前に給水棟を出て、ライトの灯るフラッグを追いかけてスタートラインに向かっていく。
この頃になると、雨はだんだん小雨になり、止みかけてきた。
途中でKさんも知り合いのムーンライト千代田さんに会って軽く立ち話をする。
「今日どーするの?」
「俺らはゴールへ。」
「そっかぁ。まぁ、とにかくゴールだけじゃなくてマップも全体見てみてよ。いいコースだからさ」
その時は、あまり深く考えなかったが、今になればわかる。
「それって結構もったいないよ~。」って言っていてくれたんだと思う。
もちろん我々の意思を最大限尊重してくれての絶妙な言い回しだったのだろう。
そこに気付けなかった。
スタート位置につくと、僕らはほぼ最初の走者だった。
あたりはまだ暗いが、雨は止みかけており、空も微妙に白んできていた。
環境としては申し分なかった。
1日目と同様にコースに並び、1分前にマップを渡され、2日目のスタートを切った。
とにかくスタートのコントロールポイントでチェックしつつ、
①を目指す。①はどんな風に行っても大きく間違わない場所にあるため、
畑と道の境目を大回りしながら迷わずとる。
ここからが問題だ。
時間は腐るほどあるため、②くらい取りに行ってもいいんじゃないか?
とKさんと話をするが、今日はリタイア予定だったため、
着ているものを脱がずにきていて「暑い暑い」という。
②は斜面に設置されているため、運動量も多くなるだろう。
それならと、僕らは帰り道方面の⑬へ向かうことになった。
ここで今日の僕らの2日目も終わってしまった。
スタートゲートの方へ戻り、まだスコアの選手たちが各々の出発準備をしている脇を通っていく。
マップをもった我々を横目に見ながら皆、もくもくと作業をこなしていた。
スタートポイントを振り返ると、選手たちがスタートを切るところが見え、
このキャンプ場が非常に美しい場所だったのだということがわかる。
バラギ湖の畔に設定されているキャンプ場は、
「目指したのは豊かさと同化するキャンプ場でした。自然の起伏はできるだけ活かし、
環境破壊に結びつくような設備はつくらない。」
この理念にも表れている通り非常に美しいキャンプ場だったということがわかった。
キャンプ場を抜け、だらだらと車道をくだっていく。
退屈になってきて、途中でマップをよくみてみると道路とほぼ平行に伸びる散策路が切ってある場所があり、
森のトレイルへ避難した。
朝の森はとても静かで、昨日の雨露が植物たちをきらきら光らせている。
森の中を歩くのはとても気持ちがいい。
林道を抜け、目印となるリフトに沿いながら荒れた枯れ地を登っていく。
リフトが設置されているということはここがスキー場だということがわかる。
スキー場の斜面をトレイルに沿って登りきるとあった。⑬だ。
⑬→⑭へは、ほぼスキー場のトップヒルまで上がるので雨の上がったその眺めは絶景だった。
バラギ湖から何から一望にできる。
ここでキャンプができれば最高だろうななどとのんきに考えていた。
Finish Lineはパルコール嬬恋に設定されているため、あとは一気に下っていくだけだ。
1:44でゴールを迎えた。
僕たちのゴールは早すぎてまだほとんど準備されていないようだった。
走りきったのではなく、お散歩ゴールのため、やりきった感のないゴールに途方に暮れる。
靴を洗い、部屋で着替え、風呂に入る。
風呂では一瞬トラブルもあったが、ホテルの対応で何事もなく済んだ。
ホテルでビールを飲みながら、続々とゴールしてくる選手を眺めながらボーっとしていた。
やはり、2日目も楽しんで走らなければならなかったのだと強く思った。
14:10の軽井沢駅行のバスまでは時間があるため中庭に出ると、
まわりは満足感一杯で弾けた笑顔で中庭で談笑している。
ここには、自分の居場所がないなぁなどと感じながら汁物をすすり、みかんを食べていた。
でも、ここに居続けたのはこの悔しさを体中にすりこむ為だった。少なくとも僕は。
次、もし参加できる機会があれば、肉体的な続行不能でないのであれば、
たとえパートナーと言い合いになったとしても、必ず自分たちのベストを尽くそうと思えた。
OMMの理念にもあるように『Face Your Challenge』だ。
そうした上でこの中庭に立った時は彼らのように笑顔が爆発するのだろう。
13:00過ぎにはこのブログにもたまに登場するウブちゃん、ダンチョーと最後に会うことができた。
彼らとはカテゴリは違うが、リザルト等を追いかけていたため、話の種が尽きなかった。
また彼らと一緒にハイクしたいと思う。
彼らと会って、最後はホッとでき、帰京した。
最後に、OMMの結果としては残念だったが、総じて非常に楽しめた。
パートナーのKさんにはこのOMMに誘ってもらい、本当に感謝している。
互いの「次回」がとても楽しみだ。
《リザルトから検証》
2日目はかなりの数がリタイアしていたようだ。参加組96組
・完走33/96組(内、7:00以内は23組)完走率は34%
・DNS(スタートすらしなかった)35/96組
・DNF(スタートしたがポイントを残してゴール等)28/96組
※この内、半数以上コントロールポイントを取れたのは14/28組
僕らはこのDNS組に限りなく近い存在だった。
せめてDNF組に入るという判断ができれば、終わった後に爽やかにレースを振り返ることができて、
中庭の宴を楽しむことができたはずだ。
Day0(■)
Day1(■)
Day2(■)
OMM Result(■)
個人的にはこのTシャツとボトルが手に入ったことがうれしい。
ボトルには何を入れようか。。。