トレイルランをはじめてからずっと憧れていたレースに立つことができた。
ただしランナーではなくボランティアで。。。
3日間の「Ridealive2017八ヶ岳」を興奮の後に終えて、みんなと別れて到着したのは
毎度スリーピークス八ヶ岳トレイルレースの時にいつもお世話になっている八ヶ岳オートキャンプ場。
僕の旅はまだ続く。
夜20:00過ぎに到着し、暗い中タープを張って自転車で近くの延命の湯で汗を流し、一息つけたのは22:30頃。
この3日間の幸せで怒濤の体験を反芻しながら夜中の焚火を楽しむ。
八ヶ岳ではもちろん燃やせなかったのでこれがしたかった。
日本酒とビールを飲みながら焚火前で寝落ちして起きたのは5:00頃。
消えかけた焚火に再び命を灯して朝焚火を続行。
残りのビールを飲みながら今日はどうやって会場まで行こうかと考えているうちに
空はなんだか天気が怪しくなりぱらぱらと。。。
けど、この雨はすぐに止んだ。
迷っていたのは実はチャリンコでここ八ヶ岳から会場になる斑尾高原までいくつもりだったのだ。
途中で雨に降られるのも困るし残念ながら今回はチャリンコは折り畳んで電車で向かうことにしよう。
キャンプ場の夫妻にお別れの挨拶をして自転車で最寄りの駅へ向かい輪行で会場まで向かうことにした。
こんな時は小さくなる折り畳みのBD−1は便利。
ちなみにこの夫婦の営むキャンプ場は本当にとってもいいところなのでもっと流行って欲しいもんだ。
この辺りを拠点にして色々なところへ行けるしとても立地的にもいいと思うのだけど。
僕はヘビーユースしている。
「信越五岳トレイルランニングレース」は制限時間22時間、全長110㎞という途方もない距離のレースで、
石川浩樹さんプロデュースの大会。(110㎞に限る)
僕がレースに出始めてからいつか出てみたいと思っているレースだ。
(出ていると言っても1年に一回か二回しかでてないけど。。)
が、このレースは超人気レースだけあってクリック合戦もハンパじゃない。
この2,3年、毎度毎度クリックする時には酒を飲んでいたりして失敗するものだから
この際、一度ボランティアで参加してボランティアのご褒美としてついてくる優先参加権で出ることにした。
はっきりいって100キロなんて全然走れるような状態でもないしね。
もう一つはボランティアの面白さにスリーピークス八ヶ岳トレイルレースで気付いたからだ。
頑張っている人を応援するということだけなのだが、それがこんなにも感動できておもしろいものだとは。
走る前に信越五岳トレイルレースの様子も知っておきたいし一石二鳥というヤツだ。
今年はその110㎞のレースに加えて、やるやるといわれていた100マイル(160㎞)の枠が出来てさらに盛り上がりを見せていた。
まわりにもこのレースを今年のメインレースに据えている人もいた。
ところが、会場についてみると噂には聞いていたが台風の進路が変わらないようでコースはショートカットになってしまう可能性が高いとのこと。。
こればっかりは自然相手の遊びなのでしょうがないとはいえ、なんて残念な。。。
会場に到着しボランティアの手続きを済ませてしばらく経つと17:30に大広間が開場して前夜祭がはじまった。
SNSつながりや実際に知っている方達が集まっている卓に入れてもらいビールなどを飲み、大量に用意された料理を頬張る。
次回出る人は間違いなく夜メシなんか必要ないくらい。
ここにいるのはほぼ全て110㎞の選手とボランティアだけで100マイルの選手達は皆仮眠している。
だって19:30には号砲が鳴り、長い人になれば32時間の旅になるのだから。
19:00を過ぎた頃に、100マイルの選手もちらほらと顔を見せにきてくれて激励することができた。
幻の100マイルレースにはなるけど、そうはいっても100㎞を越えるロングレース。
強い気持ちで頑張ってほしい。
10度を下回るくらいの気温の中、19:30前のスタートゲート裏へ選手達が並ぶ。
ゲスト選手達の紹介の後カウントダウンが始まる。
ホテルからの煌煌と光るライトのみで空には星は見えない。
10、9、8…
110㎞の選手、その他スタッフなどのカウントダウンの合唱で周囲は最高潮だ。
「3っ!、2っ!、1っ!!」
号砲と共に400名の選手達のヘッドライトが揺れ目の前を通り過ぎていく。
彼らはコースが短縮されたものの100キロ以上の旅へ出かける。
素晴らしい!!がんばれ!!
自分は出場もしないがそんな気持ちで胸はアツくなり少しビールに酔った頭で考えていた。
選手を見送った後は急いで準備をしてエリア毎での各宿への送迎のバスに乗り込み送迎してもらう。
宿に到着すると知り合いの方が数名ちらほらと。
そして、よく確認もしていなかったが自分のタイムスケジュールを見てみると
僕のスケジュールは上から下まで線が引っ張ってあった。
つまりこの日(9/16)22:00〜ラスト(9/18)15:00まで。
なかなかだな。。
選手も闘いかも知れないがこっちも闘いみたい。
ボランティアにも色々あって役割と共に当然拘束時間に違いもある。
今回の僕の役割はコース誘導といって選手が安全にコースを走れるよう一般の車等の誘導したり、
選手がルートロストしてしまわないよう誘導する役目。
とにかく僕はあと数時間で出なければいけないみたい。
でもせっかく皆さんに会えたし同宿ということで飲みますかと出発の5分前まで飲んでしまった。。
若干酔いながらボラメンバーと現場へGO!
因みに今回ボランティアは相当混乱していたようで誰がどこを担当する、その為の荷物はなにかなど、
本当にギリギリまで判明しなかった。
各班には班のリーダーがいるのだが、彼さえも把握しておらずギリギリまで焦っていたようだった。
僕たちは通称「山本」班。
ご自身も「三陸・雄勝 海の幸トレイルランニング」を主催されている方でアツくてなかなか素敵な方だ。
このレースは震災のあった石巻で開催され、日程は7月15-16日で23㎞のトレイルランイベント。
レースだけに主眼を置いたものではなく来町した人をもてなすことにも大きな主眼を置いているとのこと。
そのもてなしの海鮮がハンパじゃないとの話だった。
せっかくお知り合いになれたので来年は僕もレースかボランティアかで行こうかと思う。
こういう人の縁でレースなんかに行けるのもいいなと思う。
僕たちが担当するのはスタートから80㎞ほどという、選手が一番キツくなるところで赤倉エイドの少し手前の部分。
M35-37の2㎞程の区間。
僕の区間は残念ながら110㎞の選手達は通らないところみたいで会えない人がたくさんで残念。
そのぶん100マイルの選手400人を頑張って応援しよう。
近くの拠点となる施設に寄り、小さなワゴン車に自分たちが必要とするみんなの食べ物やパイロンなどを車に積み込み、
集合場所に到着したら、ワゴン車の後ろ扉を開け放しコース上をゆっくりと走りながら選手を誘導する為の赤いパイロンを20m毎に設置していく。
夜中に何かいたずらしているみたいで楽しい。
そこからは選手が来るまでは2時間程の待機時間になる。
くだらないことをみんなでしゃべりながら時間をつぶす。
4:00を過ぎ空も薄らと明けはじめた頃になると、僕たちが目をやっていた方向からゆらゆらとヘッドライトが揺れるのが見える。
最初は他のボランティアの人かと思っていたが今までの揺れとは違いこちらへ向かってくる。
スタートしてから7:30しか経っていないのにトップランナーがこちらへ向かってくる。
早すぎる!!
まだまだ強い足取りでランナーは駆け上がってくる。
実際にコースは短縮されてしまい、予定通り開催もできたであろう今の状況から鑑みれば
モチベーションも著しく落ちているのではとも思ったがそんなことを理由にした泣き言など一言もない。
みんなそれぞれが与えられた条件の中でそれぞれの闘いをやってる。
僕は僕にできる最高の応援を大きな声でやるくらいしかできないがやってみよう。。
アツくなった。
僕らがいる場所は80㎞地点で選手に撮ってみれば一番キツいところかもしれない。
それなのにトップランナー達は全く平然とした感じだ。
素晴らしいスピリットだ。
その後は何度かの休憩と配置換えを何度か行い最終的にM37という坂の下のポジションでの応援となった。
ここは選手が坂を上ってきてやっと下りになり少しダレそうな区間だ。
もちろんランナーはかなり疲れてくる区間。
もし逆の立場で自分が走っていたならちょっとでも力が欲しい。
ただ大きな声で「がんばれがんばれ」と励ましてほしいだろう。(みんなが思っているかは別だけど)
僕の立場でできることは声を張り上げて応援することだけだ。
アツくアツく!
ここで僕は僕の出来ることを全力でやろうと決めた。
このみんなの見事な笑顔を見てほしい。
100マイルを走る人はやっぱり凄かった。
速い遅いなんて関係なく素晴らしい笑顔で楽しそうに目の前を駆け抜けていった。
もちろんボロボロの人だっていたのだけどその彼すらも声はなくとも笑顔で目の前を過ぎていく。
僕の区間を過ぎれば登り区間になるのだけど誰も諦めずに歩く、走るを繰り返す。
ボロボロでも最後の登りを諦めなかった。
僕は自分に出来る応援をしてみた。
通り過ぎる400人がもし自分の友達だったら同じように応援するだろうと思いながら。
僕の声は大したチカラになりはしなかったろうが頑張っている人が本当に愛おしくて僕の声は枯れた。
大声で声枯れる程応援し続け400人が目の前を通り過ぎた後、足を故障していしまった最終ランナーが
スイーパーを後ろに従えゆっくりゆっくりと歩いてくる。
歩いてはいるがまだ諦めていないのだ。
どこから足を故障してしまったのかは窺い知れないがとにかく前に進み続けるということを繰り返している。
遠くから見ていても「もうダメかな」と思っていたが何度止まっても自分からはリタイヤしない。
スイーパーを含めた周囲のスタッフも「走ることだけは選手の特権」として選手のサポートを続ける。
この姿はとても美しく素晴らしい姿だった。
僕は車に乗りながらパイロンを回収していたため本部からの無線を聞いていた。
スイーパーと本部との協議は無線を通して何度か行われていたようだった。
それでもこれ以上続けるとこの先のトレイル上で何かあった時のサポートが難しいことが予想され最悪も想定できたため、
やむなくついにリミットが来たようだった。
スイーパーの方がとても残念そうに最終ランナーへここでやめて車で帰るか、歩いて帰るかを宣告した。
彼らも本部と何度か協議を続けるくらいなので完走させてあげたかったろうに。
彼らもとても辛い立場だと思った。
ランナーは歩きながら、立ち止まりながら何度も何度も逡巡し、結構な時間をかけて最終的にはDNFを選んだ。
でもびっくりしたのがその顔はとても晴れやかでかっこ良かったのだ。
自分の中で覚悟はあったのだろうけどそこに\結論を出すことはとても勇気のいることだろう。
自分がこの人の立場だったとして同じような晴れやかな顔を出来ただろうか?
自分はまだレースをDNFしたことはないが少し自信がない。
素晴らしい笑顔だった。
この瞬間僕たちのボランティアの仕事が終わった。
最後の仕事は残りは帰り際にコース誘導のサインを抜いて帰るだけ。
抜いて帰るということは同じようにこれを設置した人がいるということでその作業にも頭が下がる。
その後は宿に戻りみんなで打ち上げ。
ホウボウから集まったメンバーとはいえ、そこは同じ苦労をしたもの同士。
楽しい時間を過ごすことができた。
なんだか学園祭の後のような感じだった。
はじめてボランティアで参加させてもらったスリーピークス八ヶ岳トレイルレースの時にも思ったがボランティアを通して色々なことを感じることができた。
僕が個人的に”頑張っている人”に弱いということもあるのかもしれないが、全てのランナーの頑張りに無条件に感動できた。
僕らボランティアそれぞれのサポートはとても小さなことだけど、選手にはそれが必要だし、選手のがんばりや爽やかな笑顔を見ると誇らしく感じる。
今回も素晴らしい体験だった。
最後に頭に残っているのはキツかったことではなくランナー達の笑顔だった。
今回はとりわけ最終ランナーの爽やかな笑顔だった。
レース後に甲府の「道がまっすぐ」というトレイルランニングのお店、スリーピークス八ヶ岳の主催者の一人であるRYUGさんが
自分のインスタでこんなにステキに紹介してくれた。
僕の応援も誰かのチカラに少しくらいはなったのかな。
こんな風に感じてくれている人が一人でもいてくれてとても嬉しい。
全てのランナーの皆さん、壮大なドラマへの参加者の皆さんおつかれさまでした!
素晴らしい体験だった。
まだ経験していない人はスタッフやボランティアとして参加して応援してみるといいきっと感動すると思うな。
この後、僕の旅はまだ続き「斑尾高原to新潟十日町」としてBD-1でライドしてきた。
結局連続1週間の旅になった。
これはこれで面白かった。
でもそれはまた別の話。